カテゴリー : Classical Music

サン=サーンス/ピアノ協奏曲第3番変ホ長調作品29

フランスの作曲家、カミーユ・サン=サーンス(1835-1921)
組曲「動物の謝肉祭」の「白鳥」や一時期テレビCMで流れてた交響曲第3番「オルガン」、そして最近ではフィギュア・スケートで「死の舞踏」や「サムソンとデリラ」なんかも使われていたりして有名。
そのサン=サーンスのピアノ協奏曲第3番。
サン=サーンスのピアノ協奏曲の中でも演奏される機会は少なく非常に地味な作品だとされているようだが僕は大好きな曲。
以前レコード会社のセールス・プロモーターをしていた頃に僕が担当していたあるCDショップの店長さんが教えてくれた。
その時に貸してくださったCDがこのガブリエル・タッキーノ(ピアノ)ルイ・ド・フロマン(指揮)ルクセンブルク放送管弦楽団の演奏のものだった。
その後、この演奏のCDは入手できずアルド・チッコリーニのものを聴いていたが最近このBRILLIANTの廉価版ボックス(6枚組で約2500円!)に入っていることを知り購入。
久しぶりに聴くことができたのだがやっぱりこの演奏は素晴らしいと思った。
録音はやや古さを感じるのだが決して悪くなく、タッキーノの溌剌としたピアノのタッチがこの曲をとても魅力的なものにしている。
またバックのフロマン&ルクセンブルク放送管弦楽団もいい。
特に冒頭のホルンソロからして最高だ。
レガート気味に丁寧に歌うように吹くこの感じ。うん、いいねえ。

そして、それが風であることを知った / 武満徹

武満徹(1930-1996)。現代音楽における日本を代表する作曲家。
僕は、いわゆる現代音楽が苦手だ。しかし現代音楽的なものはわりかし好きだったりする。
オネゲルやショスタコーヴィチのような調性感のなさには心地よささえ感じる。
で、武満徹はずっと避けてきたような感じがする。
多分、初期の作品「ノヴェンバー・ステップス」あたりを聴いたショックが大きすぎたのかもしれない。

しばらく前にNaxosレーベルから出た武満徹の「そして、それが風であることを知った」は何故だか気になって購入したのだが、1、2回聴いてそのまま棚にしまい込んでしまった。
だが先日図書館のCDライブラリーで見かけた「武満徹 響きの海 室内楽全集」の中の「そして、それが風であることを知った」を聴いて、この響きの美しさと無調の音の世界に引き込まれた。

フルート、ヴィオラ、ハープによる15分程の曲で1992年に作曲された作品なので後期の作品だ。
フランス印象派の作曲家ドビュッシーを思わせる和声の美しさもさることながら個々の楽器の掛け合いが絶妙だ。
このアルバムには「海へ」というアルト・フルートとハープによる曲も収録されているのだが、こちらも美しい曲だ。
さらには「すべては薄明のなかで ―ギターのための4つの小品―」というクラシック・ギターのための作品がある。
今の僕にはスペインの作曲家やブラジルのヴィラ=ロボスのギター作品に対して少し抵抗があるのだが、この武満徹によるギター作品はすんなりと聴くことができた。
これも新しい発見。いろいろ聴いてみるものですね。

オネゲル/交響曲第3番「典礼風」

フランス生まれのスイス人の作曲家アルチュール・オネゲル(1892-1955)の交響曲第3番「典礼風」。
今、この曲にハマっている。
きっかけは「Mravinsky in Moscow 1965」に収録されていたのを初めて聴いて。
いわゆる「現代音楽」的で調性もあいまいな感じの音楽なのだが、和音の積み方やリズムが特徴的で音楽の展開も早いのでぐいぐいと音の世界に引き込まれる。

第二次世界大戦の直後の1946年にスイスのヘルヴェチア教会のために書かれた曲。
第1楽章「怒りの日」、第2楽章「深き淵より叫ぶ」、第3楽章「我らに平和を与え給え」とカトリックの典礼文のタイトルが付けられている。
キリスト教のことは全く知識がないのでよくわからないが、オネゲルは
「私がこの交響曲の中で表現したかったのは近年我々を悩ませた野蛮性、愚かさ、苦しみ、機械化と官僚主義の流れの中に生きる現代人の姿である。」と言っている。
この曲を初めて聴いたときにチャールズ・チャップリンの映画「モダン・タイムス」のオヴァーチュアを思い出したのだが、映画のテーマは非常に近いんじゃないだろうか。
第1楽章「怒りの日」では 神の怒りに直面した男性の恐怖、第2楽章の「深き淵より叫ぶ」では神に見捨てられ悲嘆した男の瞑想、祈り、第3楽章「我らに平和を与え給え」では近代化の野蛮性と愚かさの高まり、犠牲者の反乱と解放、そして平和(=永眠)といった内容だろうか。

第1楽章では最初から異様な緊張感。
劈くような金管楽器の不協和音、それも何となくMid-centuryな近現代的な響きのする和音の積み方。
オネゲルならでは?の蒸気機関車の走るようなザクザクした弦楽部。
吠えるようなフラッターホルン。
音が完全に怒っている。まさに「怒りの日」だ。
続く第2楽章は美しく安らぎに満ちたアダージョ。
第3楽章は不気味なマーチで始まる。ホルンによる何が諦めたようなテーマが繰り返されながら徐々に高まっていく。
そして金管楽器の不協和音によるファンファーレが3度繰り返された後、静かな美しいアダージョに。
鳥のさえずりとともに天にでも昇っていくかのように静かに終わる。。
全3楽章、約30分弱の曲だがどの楽章も飽きるところがない。
ドラマチックなというと何か安っぽい感じがするが音楽の展開の仕方や音響的にもとても面白い。

ムラヴィンスキーの演奏がすごい。
恐ろしいほどの緊張感漂うライヴ録音だ。
ライヴとは思えないほどのレニングラード・フィルの緻密なアンサンブルにも驚く。
ガリガリと弾き込む分厚い弦楽がすごい。
これでもかとバリバリ割りまくって吹くブラスは 、まさにロシアン・ブラス炸裂なのだがこの曲にはとても合っている。ロシアン・ビブラートも悪くない。

演奏会で演奏される機会は少ないのだろうか・・?
今、こんな時代だからこそ、もっと演奏されるべき楽曲なのではないだろうか・・?
是非一度、ライヴを聴いてみたい曲だ。

今年もまた夏が終わる・・・スヴェトラーノフ/ピアノ協奏曲ハ短調


スヴェトラーノフ:ピアノ協奏曲ハ短調
ウラジミール・オフチニコフ(ピアノ)
アレクサンドル・ドミトリエフ(指揮)
サンクトペテルブルク・アカデミー交響楽団

今年も夏が終わる・・。
今年の夏は本当に暑かった。環境問題とかいろいろ考えさせられた。
ついつい我慢ができずにエアコンをつけてしまうのだけど、地球規模で異常事態が起きていることを考えると心が痛んだ。

今年の夏の終わりは、スヴェトラーノフの”哀愁の”ピアノ協奏曲で。

指揮者としてのスヴェトラーノフの熱くスケールが大きく激しく豪快な演奏スタイルは有名で、僕もCDを聴いたり実演に1度だけだが接しているから少しは知っているつもりだが、作曲家としてのスヴェトラーノフはほとんど知らなかった。

このピアノ協奏曲は、ものすごくロマンチックでメロディックな音楽だ。
指揮者スヴェトラーノフが最も得意としていた作曲家の一人、ラフマニノフの影響が色濃く出ている。
近現代の作曲家の多くが調性のない実験的なサウンドに走るなか、スヴェトラーノフは後期ロマン派的な音楽を守り続けた決して多数派ではない作曲家の中の一人だろう。

このCDはスヴェトラーノフ氏が亡くなった翌年2003年サンクトペテルブルクでのライヴ録音だが、演奏が素晴らしい。
オフチニコフの繊細なピアノとドミトリエフ指揮のサンクトペテルブルク・アカデミー響のゴツゴツしたダイナミックなサウンドがスヴェトラーノフの濃厚な男のロマンの世界を描ききっている。

アーノルド・カーツのラフマニノフ

ラフマニノフ:交響曲第2番ホ短調作品27

アーノルド・カーツ(指揮)
ノヴォシビルスク・アカデミー交響楽団

ラフマニノフの交響曲第2番はこないだスヴェトラーノフで書いたばかりだが素晴らしいCDがあったので再び。

ロシア・シベリアの都市ノヴォシビルスクのオーケストラ、ノヴォシビルスク・アカデミー交響楽団のラフマニノフ。
新譜で何故こんな地方都市のオケのCDが出ているのだろうと不思議に思いつつもとても気になっていた。
指揮者のアーノルド・カーツ氏は50年にもわたってこのオーケストラの音楽監督を務めている超ベテラン。
このコンビのCDはタネーエフの交響曲第4番を1枚だけ所有していて、とても力強い素晴らしい演奏をしていたのでとても期待して購入。

演奏はロシアのオーケストラらしい渋みのある音でありながらも非常に丁寧に歌うような音楽が展開されている。
スヴェトラーノフのラフマニノフとは一味も二味も違う演奏。
のっぺりとした、それでいて味のあるトランペット、くぐもったほの暗い音色にヴィブラートのかかったホルン、柔らかに歌う木管群、そしてシベリアの曇り空(見たことはないが想像)をおもわせる弦楽。
これは2005年の録音なのだが、まだロシアらしい音を持ったこんなにすごいオーケストラがあるということに嬉しくなった。
録音も素晴らしく(再生機器を持っていないのだがSACD)各楽器の音色がきちっととらえられている。
こんなに細部のパートがはっきり聴こえるラフマニノフの交響曲第2番は初めて。
例えば第1楽章後半の盛り上がり部分のティンパニとシンバル・大太鼓の打ち込み部分のリズムなど、こうなっていたんだと、新たな発見も多い。
同時収録のボヘミア奇想曲ではさらにこのオーケストラの持ち味であるロシアらしいサウンドが炸裂する名演!

だがしかし。
いろいろ検索をしていたら、指揮者のアーノルド・カーツ氏は今年の1月22日に亡くなっていることがわかった。
こんな名演に出会えて、ここのところ嬉しくて毎日聴いていただけにとてもショックだ。
アーノルド・カーツ氏なき後も、この素朴でありながらもロシアの大地を思わせる味わい深いサウンドが、このオーケストラからいつまでもなくならないことを祈りたい。